HISTORY

沿革

1956

広島県に呉服屋として創業

マツオカは広島県の甲奴郡(こうぬぐん)上下町(※現在の広島県府中市)において、呉服屋として創業したのがはじまり。府中市は広島県と岡山県にまたがる「備後地域」と呼ばれるエリアで、戦前は「備後かすり」という藍染かすりの産地として有名でした。創業間もない1957年に、現在の代表取締役、松岡 典之(まつおか のりゆき)が誕生します。

1963

売り手からつくり手へ

1970年代には、既製服の需要拡大を受けて受注が増加。1980年には、100名ほどの工員を抱える規模に成長します。

1982

ものづくりの新天地を目指して

1970年代の高度経済成長で順調に推移したアパレル産業ですが、1980年代に入るとサービス業などへ人材が流出し、縫製工場で働いてくれる人員が徐々に減りはじめました。スタッフの高齢化も進み、労働力の確保という観点から、縫製業を継続していくためには「海外に出ていくしかない」と思い立ちます。そこで、労働資源の豊富だった韓国の工場で委託生産を始めることにしました。その工場では数千人の従業員が整然と並んで座って、忙しくミシンを踏んでいるのです。かたや備後の私の工場はわずか100名。規模感の違いに大きな衝撃を受けました。

1990

次の舞台、中国へ

1988年のソウル五輪に沸いた韓国も、日本と同様に若い労働資源は製造業からサービス業へと流れていきます。このままではお客さまのニーズに応えられないと感じ、次の舞台である中国での製造を目指します。1989年に天安門事件が起き、不安定な情勢のなかでの決断でした。浙江省平湖市にある650人の工場に出資する機会を得て、合弁企業の形で自分たちの工場をスタートしました。人との出会いに恵まれた挑戦でした。

1991

初の生産100万枚を実現

「このまま日本で縫製業を続けていても未来はない」という強い危機感からスタートした海外での製造は、お客さまの期待に応えたいという一心から生まれています。その想いを胸にまだ誰も行っていない土地を目指すことで、新たな事業に賛同して一緒に働いてもらえる人材が集まってくれたと思っています。ついに100万枚の生産も実現し、わずか1年で初期投資を回収することができました。

1998

日本国内の工場を全て閉鎖

650人でスタートした中国の工場は、3年後の1993年には3000人にまで一気に拡大。しかし、「ものづくり」は工場の中だけでは成立しません。生地やボタンなどのあらゆる資材を縫製工場に届けなければ動くことができず、海を越えた縫製業のサプライチェーンを構築する必要がありました。そのため、中国を主要な生産拠点とし、日本国内の工場は全て閉鎖しました。

1999

上海証券取引所B株市場へ上場

中国での生産は順調に推移し、1999年には上海証券取引所B株市場へ上場します。浙江省では当時、ワーキングウェアやカジュアルウェアを扱う縫製工場が数多く育ってきていたため、わたしたちも上場で得た資金で新しい工場を上海の金山区に設立しました。働く人もたくさんいて、オーダーもたくさんあり、地域の企業がどんどん成長していく。産業も都市も目覚ましい発展を遂げ、中国の発展が加速していく時代でした。

2004

インドシナ半島を横断する生産拠点づくり

生産地のリスク分散をめざして、2004年にミャンマーの日系工場を譲り受けて操業を開始。2007年には日系の縫製メーカーとして初めて、バングラデシュのダッカに工場を立ち上げます。その後、2009年には「東レ株式会社」との合弁で機能性下着の専用工場をバングラデシュのバルーカに新設しました。さらに生産拠点をインドシナ半島の東西に持つことでさらにリスクヘッジができると考え、2015年にベトナム北部のハノイ、2018年には「株式会社ファーストリテイリング」「蝶理株式会社」「東レ株式会社」との4社合弁企業としてインドネシアにも工場を設立しました。

2017

縫製業として初の東証一部上場

2017年12月に長年の目標であった東証一部に上場させていただきました。アパレルの縫製業としては他に例がなく、弊社が初めての事例となるためあらためて身が引き締まる思いでした。しかし、逆に言えば縫製という事業の実態は、これまで明らかになってこなかったということでもあります。今後は経営情報を広く適切に開示しながら、コンプライアンスに基づくガバナンス体制をしっかり整えることで「縫製業のマツオカ」のみならず、縫製業という事業をしっかり「永続」させていきたいと考えています。

2021

新たな成長の実現に向けて

ポストコロナの需要回復を見込むと、近い将来、縫製工場、いわゆる「つくり場」が圧倒的に足りなくなることが予想されます。アパレル需要の回復にしっかりと対応するため、わたしたちは、2021年5月に公表した中期経営計画「ビジョン2025」に基づき、コスト競争力の高いASEAN諸国等への生産地シフトを進めています。なかでも、高い成長性が期待できるベトナムとバングラデシュにおいて大規模な設備投資を行い、生産拠点の拡充を図りました。これにより生産能力の拡大とサプライチェーンのさらなる多元化を推進し、コロナ後の新たな成長の実現を目指します。

縫製業界の未来を紡ぐために

不安定な世界情勢やパンデミックによってグローバルなサプライチェーンのリスクが高まり、今後は中国・ASEAN諸国等の縫製工場が減っていくと予想されます。必然的に上がっていく人件費や固定費を生産性の向上などで吸収しながら、このリスクをアパレル業界全体としてどうやって共存していくか考えなければいけません。また「サステナビリティ」が叫ばれるなか、「環境」や「人権」など企業にはその対応コストも追加的に求められていきます。わたしたちは高い専門性と汎用性を持った海外工場をASEAN諸国等を中心にバランスよく広げ、生産供給網を多元化させることでお客様が「欲しいときに欲しいものを欲しい量」お届けできるように頑張ってまいります。